そーゆーブログ2

言葉と夜と本たちと

さみしい谷のメロディー

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今夜は、もしよろしければ、さみしい谷に住む、さみしい男の話を聞いていただけますか。

 

この深い谷には特に見るものもなく、旅人が立ち寄ることも、馬車が通ることも、めったにございません。そんな谷に、この若者はたった一人で住んでおります。

 

ええ、男には家族も友達もおりませんし、この谷には、男になついてくる動物たちさえいないのです。

 

この男は、涙のかたちをした小さな湖のそばに小屋を建て、畑を耕して暮らしております。

 

男は畑仕事に疲れると、ときおり湖のほとりに座って、静かに耳をかたむけます。

 

すると、手のひらに乗るくらいの小さな風が、そっと水面をなでていく音が聞こえたり、大きくてまっしろな雲が、お日さまの光をつるんとはね返す音が聞こえたりするのです。

 

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 さみしい谷に夜が近づくと、虫も草木も風さえも眠りについてしまいます。ええ、まるで谷から引き算をするように、ひとつひとつ音が消えていくのでございます。

 

やがて谷が湖の底のように静かになると、男は小屋の明かりをすべて消して、外に出ます。夜空を見上げて耳をすますのです。

 

すると、北の空にじっと座っている北極星を中心に、大きな筆で描かれたような星座たちが、男をやさしく見下ろすのでございます。

 

天から雨が落ちてこない夜には、たまに天から、かすかな音が落ちてくることがあります。

 

たとえば、南の空にゆうらりと、浮かんでいらっしゃるお月さまが、わずかに傾く音や、星座たちが夜空をゆっくりと移動する音が、聞こえてきたりするのです。

 

でも、この深い谷からすべての音が消えてしまう夜には、いつも最後に、男のさみしさだけがそっと残るのでした。

 

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ええ、そうでございますね。たださみしいだけの男であれば、決してめずらしくはないでしょう。ほかの谷や村にも何人かいるに違いありません。

 

ええ、わたくしがこの男の話を聞いていただきたいと思ったのは、別に理由があるからでございます。

 

実はこの男には一つだけ、ほかのさみしい男たちと異なるところがあるのです。

 

それは、この男のさみしさが音符でできている、ということでございます。

 

ご存じのように、いくつかの音符を上手につなぐと、心地よい音楽ができあがります。

 

それと同じように、男がさみしくなると、たくさんのさみしさが奇跡のように上手につながって、さみしいメロディーができあがるのです。

 

そういうわけで、男がさみしくなると、男の胸をふるわせるさみしさが、小さな波のように周囲の空気に伝わり、いつもオルゴールのように、さみしいメロディーが鳴るのでした。

 

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わたくしが思うに、もしかしたら男は、この音符でできた自分のさみしさを、誰にも理解してもらえなかったのではないでしょうか。

 

あるいは、オルゴールのようなメロディーを聞かれることが、恥ずかしかったのかもしれません。

 

それが理由で、男はこの深い谷で一人暮らしを……。いえ、男が一人でこの谷に住んでいる理由は、わたくしにも、お月さまにも、誰にもわからないのでございますが。

 

 

さて、とても風の強い日のことでございます。

どういうわけか、大人の両腕いっぱいにあふれるほどの風が、男のさみしいメロディーを大きなスプーンですくうように、さっと空高くさらっていきました。

 

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そして、さみしいメロディーはそのまま風に乗って、いくつもの谷や村を越え、遠くとおく離れた町に住む、さみしい娘の窓辺に届きました

 

娘はいつものように、草色のびんせんに、さみしい草花の詩を書いていましたが、ペンを止めてそのメロディーに耳をかたむけました。

 

娘はすぐに、そのやさしい音色が気に入りました。

 

聞き覚えたばかりのメロディーを頭に思い浮かべると、娘は星空色の髪を揺らしながら何度もハミングをくりかえし、すぐにびんせんの上にペンを走らせ始めました。

 

やがてペンが止まると、娘はにっこりとほほえみました。

 

このさみしい詩人は、風が届けたメロディーに、やさしい詞をつけたのでございます

 

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それからのち、娘はさみしくなると、一人でこっそりと、そのやさしくて、ちょっぴりさみしい歌を口ずさむようになりました。

 

それは風にゆれるチサの葉の音のように、細くやさしい歌声でしたええ、できることなら、あなたにも聞かせてあげたいくらいに。

 

 

ところで、一年に一度だけ、娘の住んでいる町から、男の住んでいるさみしい谷に向かって、大きな強い風が吹くことがあります

 

ええ、とても強い風でございます。あの小さな湖のそばにある、男の小屋の窓辺に届くくらいに。

 

そんな風の日にちょうど、娘があのやさしくて、ちょっぴりさみしい歌を口ずさんでいてくれたら……。そう、あのときと同じように大きな風が、娘のやさしい歌を、さっと空高くさらって運んでくれたら……。

 

わたくしはそう、願っているのでございます。

 

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ええ、わたくしはいつも、はるか上空からお月さまといっしょに、二人のことを見守っておりますから。

 

わたくしのまわりをゆっくりと回る、たくさんの星座たちとともに。

 

……さて、夜もふけてまいりました。それでは、おやすみなさい。

 

 

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