ギャラリー達磨庵(だるまあん)
1. そのオアシスの名前は、水前寺公園
【水前寺公園】
水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)は熊本県熊本市中央区にある大名庭園。面積約7万3000平方メートル。通称は水前寺公園。
豊富な阿蘇伏流水が湧出して作った池を中心にした桃山式回遊庭園で、築山や浮石、芝生、松などの植木で東海道五十三次の景勝を模したといわれる。
「水前寺成趣園」(2018年5月8日 (火) 10:59 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』より引用 URL: http://ja.wikipedia.org
この文章を読んでくださっている、親愛なるあなたは、熊本市内にある水前寺公園をご存知でいらっしゃいますか? ええ、素敵なところですよ。でも私は、熊本市内に転居するまで知りませんでした。
昔々、と申しましても、今から16年ほど前のことでございます。当時会社員であった私は、熊本県熊本市に住んでおりました。故郷の博多から熊本市内への転勤でした。
勤務地に到着した当日、路面電車の走る、映画のセットのような街並みが、自分の目に新鮮に映ったことをよく覚えております。
その当時私は、水前寺公園から歩いて5分ほどのところに住んでおりました。会社が借りてくれている部屋のほぼ真下には、清潔な小川が流れていましてね、嘘か本当か、この川は水前寺公園内の巨大な池とつながっている、なんて同僚が言っていました。
そのような次第で、しずかな日には、さらさらと水の流れる音が心地よく聞こえるなか、窓の下でゆうゆうと泳ぎ回る鯉や亀をながめながら、昔話に出てくるお爺さんのように、私は暮らしておりました。
当時は、いやきっと今もそうでしょうが、水前寺公園のそばには、大きな鳥居があり、観光客のための喫茶店や、熊本の郷土料理(からし蓮根)の店、あるいは郷土菓子(いきなり団子)を売る店などが並んでいました。そしてその中に、一風変わったお好み焼き屋さんが一軒あったのです。
2. そのギャラリーの名前は、達磨庵(だるまあん)
そのお店は、とても感じのいい奥さんと、愛想のいい娘さんが、お二人で切り盛りしていらっしゃる、素敵なお好み焼き屋さんでした。
はじめてそのお店を見かけたとき、看板の「お好み焼き」の文字だけしか、私の目には入っていませんでした。何気なく店内に入り、豚玉か何か注文しようとしたとき、「え?」と我が目を疑いました。
店内いたるところに、達磨、ダルマ、だるまの絵……大きい作品、小さい作品、紙か布に書かれたような作品、木に彫られた作品、色の付けられた作品、墨絵の作品。それはまあ、見事な作品たちが展示されていたのです。
実はそのお店は、奥さんと娘さんが店に立つ「お好み焼き屋さん」であると同時に、禅画家のご主人が制作された達磨絵などの作品が展示・販売される画廊(ギャラリー)だったのです。
そのお店の名前は、ギャラリー達磨庵(だるまあん)。
だるまあん。ダルメシアンでも、ポメラニアンでもなく、ダルマアン。
目を閉じてその音の響きを反芻すると、不思議なクロアチア語のような響きが心地いい。(いや、クロアチア語て…なんでしょうか)
目をあけて、店内を見渡すと、中国禅宗の開祖である、達磨大師のぎょろりとした目が、四方八方から語りかけてくる。
店内にいらっしゃった、ご主人と少しお話をさせていただきました。
禅画家のご主人がおっしゃることには、達磨が好きな人はけっこう多いらしく、達磨の絵を展示していると、遠くのほうから「だるまぁー!」と叫びながら走り寄ってくる人もいるということです。
当時の私は、ただただ驚くと同時に感心しながら、ご主人の顔を見ていましたが、あれから年月を経た今、どういうわけか私も、「だるまぁー!」と駆け寄るお客さんの気持ちが、少しだけわかるような気がします。
当時の私には、達磨の画を見る目がまったく欠けていましたが(※注)、それでも幾度か、このギャラリーに通ううちに、いくつか気に入った作品を購入させていただきました。
(※注)今もさほど、ありません。
そのうちの一点は、とても小さな作品です。以下の画像をご覧ください。達磨の画というよりも、私はそこに書かれている言葉にひかれて、この作品を手に取った記憶があります。
転ろべ ころべ まだ かどがある
【購入した作品の画像】
思えば自分も、道を逸れたり、転んだり、倒れたりしながら、まったくまっすぐに進めない人生を歩いてきました。
転んでころんで、私も少しは丸くなっただろうか。この小さな画と書をながめるたびに自問してしまいます。昔読んだ、武者小路実篤の「師よ師よ」という詩を思い出しながら、強く、そして丸い人間になりたいと思うのです。
3. その詩人の名前は、武者小路実篤
師よ師よ
「師よ、師よ
何度倒れるまで
起き上がらねばなりませんか?
七度までですか?」
「否!
七を七十倍した程倒れても
なお汝(なんじ)は起き上がらねばならぬ」
(注)ふりがなを加え、現代かなづかいを用いました。
※ 武者小路実篤(むしゃのこうじ さねあつ)
明治18年(1885年)ー昭和51年(1976年)
日本の詩人。90歳10か月没。
武者小路 実篤さんは、明治時代に生まれた人ですが、21世紀の現代でも、その詩作品はもちろん、『友情』や『愛と死』といった小説でも、広く知られていますね。私も読みました。
また、実篤さんの次の言葉は、きっと多くの方がご存じでしょう。
この道より
我を生かす道なし
この道を歩く。
はい、数え切れないほど引用されてきた、力強い言葉です。
さて、上に掲げた実篤さんの詩は、弟子とその師の会話で成り立っています。
「七転び八起きくらいではまだまだ甘いぞ。倒れても倒れても、何度でも立ち上がってこい!」
このように叱咤激励する師の言葉が、私の心をわしづかみにします。
七を七十倍した程倒れても
七転び八起きの「七」を七十倍すると490回になりますが、これは「無数」の比喩でしょうね。数え切れないほど何度倒れても、と師はおっしゃっている。
七を七十倍しても、七百倍しても、七千倍しても、私たちは生きている限り、立ち上がらなければならない。
そう私も、何度でも、きっと。
4. その思い出の名前は、ふたたび、達磨庵
熊本で一年半過ごした後、私はふたたび転勤しました。
晴れた午後に光る、澄んだ水面。
静かな夜に聞こえる、鯉の跳ねる音。
お好み焼きソースの香りがする、素敵な画廊。
私の愛した熊本市。
忘れられないのです。