そーゆーブログ2

言葉と夜と本たちと

詩を読む理由を考えてみました。

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吉岡実(1919-1990)は、戦後にあらわれた最高の詩人の一人であるといわれます。野村喜和夫氏によれば、その詩史的位置は、大正・昭和前期の萩原朔太郎のそれにもなぞらえられます。

 

そのような吉岡実の詩集『サフラン摘み』について考えていた頃、私はインターネット上で「吉岡実」を検索してみたことがあります。そのとき、私は次のようなタイトルのサイトを見つけました。

諧謔・人体・詩・幻・言語―吉岡実のいくつかの詩を読む

 

この場所に、詩人の小笠原鳥類さんが書き残された言葉を、私は今も忘れられません。当時の私は、A4サイズの紙で11ページにわたる同氏の言葉に感銘を受け、ただちに記事全文をプリントアウトしたのでした。

 

いま手元にある、この若干色あせた11枚の紙をめくると、2008/08/12という印刷の日付と、薄茶色の小さなしみが目に映ります。

 

残念なことに、このサイトは現在閲覧できない状態になっています。形にして残しておいてよかったと、小笠原鳥類さんの一ファンである私は思っていますが、記事を削除なさったであろうご本人は、どのように感じられるでしょうか。

 

さて、この記事の中で、同氏は以下のような旨を綴っておられます。

吉岡実の詩集は今ではほとんど全てが絶版、入手が困難であり、今、大きな書店で容易に入手できるのは、選詩集である2冊だけである。すなわち、現代詩文庫の2冊だけであると。

 

現代詩文庫『吉岡実詩集』   思潮社 1968

現代詩文庫『続・吉岡実詩集』 思潮社 1995

 

この記事が書かれた当時の状況は、1983年の詩集『薬玉』と、1988年の詩集『ムーンドロップ』が入手困難であり、1996年に出た『吉岡実全詩集』さえも同様であるということでした。

 

以下は同サイトからの引用です。

私は古書店でかなり探したり図書館で大量に資料をコピーしたりしていろいろなものを入手している。

コピーするのは単調で飽きる作業ではあるけれど、このような素晴らしい本が入手困難であるという現状に対する怒りが私の力になるわけであるかもしれず、(詩を丁寧に読むという作業を支えるのも、なぜ詩を読む人が少ないのだ、という怒りの感情であるかもしれず、あるいはもしかしたら、もっと説明不可能で理不尽なわけのわからん怒りに支えられてこういう文章を書いているのかもしれない)。

 

なぜ詩を読む人が少ないのだ、という怒り。やり場のない怒りですね。その気持ちは、本当によくわかります。

 

でも私の場合は、怒りというよりもむしろ、「現代の人はあんまり詩に関心がないんだなぁ。詩以外にも心を打つものが、いたるところにあふれているしね」という、悲しみ、あきらめ、もしくは、それらに近い感情に包まれているかもしれません。

 

でもきっと、だからこそ、私は詩を読むのだろうと思います。この国から子どもが減っていくように、地球上から野生の虎が減っていくように、吉岡実を読む人々も、詩を読む人々も、この国から確実に減っている。減っていく。


詩の読者減少の原因は、複数ありそうですが、そもそも今のままでは、日本の人口自体が減少していくのでしょうから、これは仕方のないことなのかもしれません。

 

ただ、子どもも、虎も、詩の読者も、三者それぞれ、減少する原因は異なるにしても、「数が減る」という現象自体は同じです。だからこそ私は、吉岡実を、田村隆一を、鮎川信夫を、北園克衛を、いや、詩を読みたいのです。私は、最後まであがいて生き残ろうとする、やせた虎の一頭でいたい。

 

それがきっと、私が詩を読む理由なのでしょう。

 

さて、このささやかな文章をお読みになっていらっしゃる、親愛なるあなた様は、いかがでしょうか。

 

(完)

  

……と、ここで筆をおくつもりでしたが……「さて、あなたは…?」という、しめくくりの言葉が、月刊投稿雑誌『詩とメルヘン』の編集責任者をなさっていた、やなせたかしさんの決め台詞と、思わず重なってしまいました。

 

ええ、アンパンマンの原作者である、やなせたかしさんです。この雑誌のことをご存じの方がいらっしゃると、うれしいのですが。

 

実を申しますと、私は20年以上前に、この雑誌に投稿を続け、幸運なことに、詩や小さな物語を、何度か掲載していただいたことがあります。

 

当時は、個人の書いたものが広く人様の目に触れることが、きわめて困難な時代でした。そんな時代に、自分が書いたものを、生まれて初めてほめてくれた人が、編集長のやなせたかしさんでした。やさしいお人柄が誌上から伝わるようでした。

 

「ああ、私のような素人でも、こんな自分でも、何か書いていいのかもしれない。本当にチラシの裏でもいいから、書き留めていこう。そして、書く以上に読み続けよう、詩を」

 

そんなふうに、私に思わせてくれたのは、幸運にも、アンパンマンの生みの親だった。これもまた、私が詩を読み続ける理由の一つなのかもしれません。

 

 

また同時に、やなせたかしさんは、やさしいだけでなく、一部の詩や詩人に対するきびしい目をお持ちで、ある種の強い怒りを常に忘れない人でもあったようです。そのような感情もまた、『詩とメルヘン』の編集長としての、やなせたかしさんを走らせていた一因のように思えました。

 

さて、さて、思いつくままに、つらつらと書き連ねていると、思わず道が逸れてしまい、この書き物の着地点を見失いそうになっております(笑)

 

もうじき朝になります。今度こそ、今夜はこのへんで。おやすみなさい。

 

 

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